「大丈夫」は言えても、「助けて」は言いにくい
「大丈夫?」と聞かれて、
「大丈夫です」と答える。
本当はそれほど大丈夫ではなくても、反射的にそう答えてしまうことがあります。
ところが、
「助けて」
となると、急に言いにくくなる。
短い言葉なのに、口にするまでにはずいぶん大きな壁があるように感じます。
なぜ「助けて」は、こんなに言いにくいのでしょうか。
今回は、
「助けて」と言えることは弱さなのか
という問いから、この言葉を考えてみます。
なぜ「助けて」は言いにくいのか
理由は一つではありません。
迷惑をかけたくない。
弱いと思われたくない。
自分のことは自分で何とかしなければと思う。
断られるのが怖い。
人によって、その理由も違うでしょう。
さらに、助けを求める以前に、
自分が困っていることに気づいていない
場合もあります。
目の前のことを必死にこなしているうちに、「しんどい」が日常になってしまう。
そうなると、「誰かに手を借りる」という発想そのものが浮かびにくくなることもあります。
「助けて」と言う前には、まず、
「私は今、一人では少し難しいところにいるのかもしれない」
と、自分の状態に気づくことが必要なのかもしれません。
「自分でやる」と「一人で抱える」は違う
自分でできることを、自分でする。
それは大切なことです。
けれど、
「自分でやる」ことと、「何もかも一人で抱える」ことは同じではありません。
ここまでは自分でできる。
でも、ここから先は一人では難しい。
そんな境目は、誰にでもあるのではないでしょうか。
必要なところだけ、人の力を借りる。
それも、自分の人生を自分で進んでいく方法の一つだと思います。
助けてもらうことと、人生を預けることは違う
「助けて」と言ったら、相手に全部を任せることになる。
そんな感覚があると、この言葉はとても重くなります。
でも、
「助けて」は、人生を誰かに預ける言葉ではなく、一人では難しいところを誰かに知らせる言葉です。
「ここが、自分一人では難しいです」
「この部分だけ、力を貸してもらえませんか」
そう伝えること。
助けてもらったからといって、自分で考えることや、自分で選ぶことまで手放す必要はありません。
誰かの力を借りながら、自分で歩くこともできます。

支える側も、一人で抱え込まなくていい
この考え方は、助ける側にもつながります。
誰かから「助けて」と言われたとき、その人の人生すべてを背負う必要はありません。
自分にできることをする。
自分だけでは難しいなら、別の人や場所につなぐ。
必要なところに、必要なぶんだけ手を添える。
助けることと、相手の人生を代わりに生きることもまた、同じではありません。
支える人にも、支えてもらう場所が必要です。

「助けて」は、人と人をつなぐ言葉
人は、ずっと「助ける側」と「助けられる側」に分かれているわけではありません。
あるときは誰かに力を借り、
別のときには自分が誰かの力になる。
その立場は、行ったり来たりします。
だから私は、「助けて」という言葉を、
弱さを示す言葉というより、
人と人の間に橋をかける言葉
として考えてみたいと思っています。
一人では難しいところを、言葉にして知らせる。
その言葉を受け取った人も、全部を抱え込まず、自分にできる形で手を差し出す。
そんなやりとりが増えたら、「助けて」は今より少し言いやすい言葉になるのかもしれません。
そして、
「支える人が、ひとりで抱え込まないこと」と、
「助けて、と言えること」。
これは別々の話ではなく、同じ支え合いの中にあるのだと思います。

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