「やれることを、やれるだけ。」
この言葉を、今日は少し机の上に置いて眺めてみたいと思います。
私はこの言葉を、自分自身によく言い聞かせます。
でも、
「やれるだけ」
と聞くと、どこか物足りない感じがする人もいるかもしれません。
それしかできない。
足りない。
妥協した。
そんな響きにも聞こえます。
一方で、
「全部やらなければ」
と言うと、なんだかこちらのほうが真面目で、責任感のある言葉に聞こえる。
でも、本当にそうなのでしょうか。
「やらなければ」ではなく、「やれる」
まず気になったのは、
「やらなければ」ではなく、「やれる」
というところです。
「やらなければ」には、
義務だったり、
誰かからの期待だったり、
「こうあるべき」という思いだったり、
いろいろなものがくっついてくることがあります。
そして「やらなければ」が増えていくと、不思議なことに、何から始めればいいのか分からなくなることがあります。
本当に今日やる必要があること。
明日でもいいこと。
誰かに聞けば済むこと。
もしかすると、今はやらなくてもいいこと。
本来は重さの違うものなのに、全部が同じように、
「やるべきこと」
に見えてくる。
私自身、いろいろなことを並行して始めてしまい、優先順位が分からなくなって、結局何も進まなかったことが何度もあります。
だからこそ、
「何をやらなければならないか」
ではなく、
「今の私に、何がやれるだろう」
と聞き直してみる。
それだけで、少し景色が変わることがあります。
「全部」ではなく、「だけ」

もうひとつ気になるのが、
「全部」ではなく、「だけ」
というところです。
「だけ」という言葉は、とても小さく見えます。
でも私は最近、この「だけ」は必ずしも消極的な言葉ではないと思っています。
あれもこれもと手をつけて、全部が中途半端になる。
それよりも、
今の自分がやれるものを選んで、そこを確実にやる。
これまでを振り返ると、私の場合はそのほうが結果的によい方向につながったことが多くありました。
だから、
確実に一つをやることは、手抜きでも、諦めでもない。
やれるものを取捨選択して、その中で自分なりのベストを選ぶ。
そういう「だけ」もあるのだと思います。
もしかすると「だけ」は、
自分の可能性を狭める言葉ではなく、
力を使う場所を決める言葉
なのかもしれません。
毎回100点を義務にしない
たとえば、勉強で考えてみます。
毎回、
「絶対に100点を取らなければ」
と思ったら、かなり苦しくなります。
もちろん、100点を目指すことが悪いわけではありません。
一つずつ積み重ねた結果、100点になったら、それはとてもいい。
でも、
毎回100点でなければならない
となると、話は少し違ってきます。
まずは及第点を取るために何をすればいいのか。
そこを確実にやる。
その先に余裕があれば、さらに積み上げる。
そんなやり方があってもいいのではないかと思います。
これは、
「60点でいいから適当にやろう」
という話ではありません。
目標を一律に下げるという話でもありません。
その日の自分。
今いる場所。
使える時間。
使える力。
それを見ながら、
今の自分にとって、何をやることがベストなのかを選ぶ。
という話です。
今日は100点を狙えるかもしれない。
今日は、まず一つだけ終わらせる日かもしれない。
その判断は、毎日同じでなくてもいい。
「やれるだけ」は、限界を決める言葉ではない
「やれることを、やれるだけ。」
こうして言葉を分けて眺めてみると、
私はこの言葉を、
「ここまでしかできない」
という限界の言葉には感じなくなってきました。
むしろ、
今の自分の現在地を確認して、
そこから次の一歩を選ぶ言葉。
そんなふうに見えてきます。
やれることを見つける。
その中から選ぶ。
そして、選んだものをやる。
そこまでできたら、また次を考える。
最初から全部を抱え込まなくてもいい。

自分の現在地から、一歩ずつ
私はもともと、
あれもこれも、それもどれも、
全部やりたいタイプです。
だから「やれることを、やれるだけ。」は、今でも自分に言い聞かせている言葉でもあります。
最近は少しずつ、
「今日はここまで」
「これは後でもいい」
「今の自分なら、まずこれかな」
と考えられるようになってきました。
全部をやることが、いつも誠実とは限らない。
たくさん背負うことが、いつも正しいとも限らない。
今の自分にできることを見つけて、
そこに力を使う。
そして、また次へ進む。
やれることを、やれるだけ。
それは、自分を小さくする言葉ではなく、
自分の現在地から一歩を選ぶための言葉なのかもしれません。
あなたが今日、
「これならやれる」
と思うことは、何でしょうか。

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