キャンプで火を起こす時のことを、時々思い出します。
火がなかなかつかない。
あれこれ試す。
また失敗する。
そして、ようやく火がつく。
工夫したり、試行錯誤したりする時間そのものには、意味があると思います。

「こうするとダメなんだ」
「じゃあ、次はこうしてみよう」
そんな経験は、あとになって思わぬところで役に立つこともあります。
でも一方で、私は時々こう思ってしまいます。
2時間かけて、ようやく火がつきました。
……そこは、点火用ライターでもよくない?
もちろん、火起こしそのものを楽しむ日ならいいのです。
今日はそれを体験するために来た。
試行錯誤することそのものがおもしろい。
それなら、2時間でも3時間でも意味がある。
でも、目的がただ、
「火をつけたい」
だけなら、一瞬で火がつく道具を使ってもいい。
私は昔から、そんなことをよく考えていました。
楽をすることは、横着すること?
「楽をする」
というと、なんとなく、
横着する。
怠ける。
手を抜く。
そんな印象があります。
でも私は、
楽をすることと、手を抜くことは同じではない、
と思っています。
仕事をしていた時も、
「この作業、もっと短くできないかな」
「ここ、本当に必要かな」
「もっと正確に、早くできる方法はないかな」
と、よく考えていました。
楽をしたいから、適当に終わらせたいわけではありません。
むしろ、
少ない時間で、効率よく、しかも正確にする。
そこはけっこう真剣でした。
同じ結果にたどり着くなら、必要のないところで時間や力を使わない。
そして、そこで生まれた時間を、別のことに使う。
私は、そういう「楽」なら大いにしていいと思っています。
でも、回り道が残してくれるものもある
では、苦労や回り道は全部いらないのでしょうか。
それも違うと思っています。
私自身、これまで何度も、
「なんでこんなことになるんだろう」
と思うようなことを経験してきました。
うまくいかない。
やり直す。
また何か起きる。
その時はもちろん大変です。
でも、そういう経験を何度か重ねていると、次に何か起きた時に、
「ああ、また来たね」
くらいに構えられることがあります。
前にも似たようなことがあった。
あの時も、なんとかなった。
じゃあ今回も、とりあえず考えてみよう。
そう思える。
最初から何でも先回りして、苦労せずにできてしまうことが、いつもいいとは限りません。
一度も大きくつまずいたことがなければ、初めて転んだ時に、その衝撃がとても大きくなることもある。
だから私は、
苦労は全部したほうがいい
とも、
苦労は全部なくしたほうがいい
とも思いません。
減らしていい苦労と、
経験したからこそ残るもの。
それは、同じではないのだと思います。
何を減らして、何を残すのか
ここまで来ると、
「では、何を楽にして、何を経験したほうがいいのか」
という話になります。
でも、たぶんそこに簡単な答えはありません。
同じ火起こしでも、
ある人にとっては、ただ時間がかかる作業かもしれない。
別の人にとっては、
「自分で火をつけられた」
という大きな経験になるかもしれない。
あとになって初めて、
「あの回り道、意外と役に立っていたな」
と気づくこともあります。
だから私は、
「苦労したかどうか」
だけでは決めたくないと思っています。
この時間は、自分に何を残すだろう。
ここは、本当に自分が力を使うところだろうか。
少し立ち止まって考える。
それくらいでいいのかもしれません。
「楽」がつくる余裕

私が「楽」にいちばん価値を感じているのは、その先に余裕が生まれることです。
やらなくてもいいことを減らす。
時間が少し空く。
ストレスが少し減る。
すると、心にも少し余裕ができます。
余裕がない時は、目の前のことで精一杯です。
自分のことさえよく見えなくなる。
ましてや、誰かのことまで考える余裕はありません。
でも、少し余白ができると、
「私は今、何をしているんだろう」
と一歩離れて自分を見られることがあります。
相手についても、
「この人は、どう感じているんだろう」
と考えられるようになる。
自分と相手を、少し離れたところから見ることができる。
だから私にとって、
楽をすることは、ただ何もしないことではありません。
使わなくてもいいところで力を使わず、
本当に使いたいところに力を残しておく。
そのための「楽」もあるのだと思います。
2時間かけて火を起こす日があってもいい。
点火用ライターで一瞬で火をつける日があってもいい。
大切なのは、どちらが偉いかではなく、
その時間を、自分は何のために使うのか。
そんなことを考えながら、私は「楽」という一文字を眺めています。
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